うし「そのままのカタチ」

自己顕示欲よりメタ認知。

言語化の練習

私は言語化が苦手だ。

思ったことを言葉にするのが苦手だと自覚している。

それなのに、私と会話をする相手からは、

 

「あなたはお話が上手でわかりやすい。」

「文章を書いてみてほしい。」

 

と言われる事がある。

これは一体どういうことなんだろう。

それを知りたくて、感じたくて今書いてみている。

 

 

私の家の周りは緑が広がっていて。

よく鳥が鳴く。

鳥について詳しくないので、一体なんという鳥が鳴いているのか知らない。

調べようと思ったことはあるけれど、そう思ったまま過ごしている。

鳥だけでなく虫も鳴く。

そういう賑やかさがあるので、この町は閑静という表現では違うのだろう。

陽の光がよく入る、いい家に生まれたなと思う。

 

そんな豊かさは神経が凪いでいるときにしかわからない。

 

私の人生の大半は、神経が過剰に働いていたから、

こんなふうに落ち着いて周りの環境を感じられるようになったのは、

本当にここ数年のことだ。

 

多くの人間と同じように学校に通えないということ悩んだ日々も、

早く肩書を手に入れて周りの人間を安心させたいと焦る日々も、

心身を壊し、絶望の淵にいた日々も、

ずっと気が付かず、感じられず、わからなかった。

 

今ではこうして、

少なくとも落ち着いて文章が書ける状況にある。

それだけで私は十分幸せなんじゃないかと思ったりもする。

 

エアコンのかかる涼しい部屋で、ぬるくなった水を飲みながら、

自分と対話して文章を書く時間はとても贅沢だと思う。

言語化能力の稚拙な自分にとってはこれもまた大切な遊びの時間。

遊びは育み。

 

またいつかも気がついたことを書き留めたいと思う。

何が恥ずかしいっていつまでも恥ずかしがってることが恥ずかしい。

重複してようが、間違ってようが、全然伝わらなかろうが、誤字の連続だろうが、私が書いたんです。私が書いてるんです。

 

ごめんね。

 

そして、「うるせぇよ」もちょこっとレモンみたいに垂らしておきたい。

 

 

いつからこんな風になってしまったのか。

誰のせいにもできない。誰にもちゃんと説明できない。

これは本当に苦しい。

 

自分が黙ってるから自業自得なんだろうけど。

笑って話せる自信がないし、話しながら泣いてしまいそうな話はできない。

 

ぐるぐるすると頭をもたげて、ストレートネックからの痛みが訴えてくる。

猫背になってるんだから、そのまま猫みたいに生きれればいいのに。

全身に力を入れて人間やって、灰色の風景の中で届かない音で唸る。

あああああごめんねごめんね。悪いのはいつだって自分だった。

そう言って過去の様々な出来事に対する贖罪になろうとする。

直後には夢でも見ていたかのように、カラッと元気になり、あれ、何してたんだろうってなるもんだから、私自身の何を信用すればいいのか私がわからない。私が困ってる。

 

いつもいつもじゃないのよ。

でも、大事な時とか、誰かとやりとりしてる最中とかだと。終わる。

 

それでもよくなったと思って普通に生活しても、

あーまた来たって。

 

これ、どうやら病気らしくて。

どうやら障害らしくて。

 

わかって安心したけど。苦しいのは変わらなくて。

 

もうそんなことがあったもんだから、どんな風にやりとりしてたかとか全然わからなくってきっと変な風になっちゃったんだと思ってる。

それを理解してくれとかいうつもりは全然ない。

そんな自分っていう存在の押し付けなんか誰にもしたくない。

 

自分のやり方が下手だっただけで。

親にもずっと言えずにいるんだから。死にそうだって。

 

何を恥ずかしがっているのか。何に気を使ってるのか。

引き裂かれそうだとか感じながら、ギリギリまでそのスタンスでいるつもりなんだって自分で自分に思う。

もう、自分感覚の乖離がエグくて、自分の感情が全然どっかいってて。

 

だから、本当は書き出すのが怖くて。わかんなくて。

本当は丁寧に謝罪したいことがたくさんあるんだけど。

吐き出す勢いでしかでないから。

気持ち悪さを伴って。

なかなかきつい。

 

人と関わるのえぐい怖いぜ。

 

人間は最初、公園の砂場とかで人間との物理的な言語的な距離感を習得してくんだろう。

ここはそれこそ砂場にしようと思ってたのにね。

間違ってもタバコなんか吸って、意識を回そうとしちゃダメよ。

また、運ばれちゃうんだから。

霊柩車ならいいけどね。そうはいかないのよね。

 

クソほど恥ずかしいな。生きてるっって。

自意識過剰のバカだからかな。

 

 

なんで今日まで気がつかなかったんだろう。そして、今更、なにを言っているんだろう。

注意:メッセージでありながら感情的な吐露であるためまとまってないと思います。

ーーーーー

 

3月からずっと考えてて、なんでわからなかった?

いつも通りでありがたいって言われたけど、全然いつも通りじゃなかったじゃん。

どうしてあんな風に送ったの。全然違う人みたいじゃんか。

そっけないし、面倒くさそうにあしらってるようにしか見えないわ。

あああああ。

 

最後の文章が強烈すぎて、ずっとそこばかり意識してしまってて、自分が何を言っていたのか全然見えてなかったのかもしれない。

 

俺は

『最後にあれだけ「ごめん」を繰り返されたのは、「もういい」って言ってるんだろうな。なんでだろうな、すごく嬉しかったけど、すごく残念だな。』

ぐらいしかわからなくて。

でもずっと何かが引っかかってて、気になってしまって考え続けてやっと今日。

 

いや、本当のところは違うのかもしれないけど。

全然勘違いで、もっと根深い何かかもしれないけど。

謝りたい。ごめん。本当にごめんなさい。

 

 

今頃なにを…と思うかもしれないけれど、言い訳をします。

ちょうど連絡を取らなくなった昨年の9月頃から体調を崩す日がかなり増えました。

昨年の12月には家で急に倒れ、救急車に乗せられ病院へ運ばれました。

それからずっと具合が悪く、特に3月は具合が悪い中で検査をしたり、公的な支援を受けるための手続きをしたりと忙しくしてました。

そんな中、不意に来たLINEにどう返事したらいいかわからず、きっとそっちも忙しいだろうなと勝手に思って、具合の悪い自分がそっちの時間を奪ってはならないと思って。

あとちょっとイライラしてたりとかして、あんな風に送ってしまったんだと思います。

 

それから、これほどの期間、なにも言わずにいたのは、

拒絶されてることだけは伝わっていたから。逆に言えばずっとそこしかわからなくて。

いろいろまとまって、丁寧に文章がかけるようになったら送ろうと思ってて。

でも、それもただ煩わしく思わせるだけなんじゃないかと思って。

どうしたらいいか、結論が出なかったからです。

 

謝りたいことがたくさんあります。

こっちの少し混乱した状況の中で返事したLINEのせいで、傷つけてしまっていたなら本当にごめんね。

今日まで気がつけなくてごめんね。

ここまで書いて、そっちの思ってることと全然違ったらごめんね。

「返信しなくていいからね」と言われたのにこんなに書いてごめんね。

長い文章で煩わしく思わせたらごめんね。

ずっと頼ってばっかだったのに、ごめんね。

誕生日、LINEできなくてごめんね。

LINEで最後までわけわかんないこと言っててごめんね。

 

 

どんな風に思ってて、どんな気持ちだったのか聞きたかったです。

でも、また連絡しようー。とかは違うのかな。

んー。わからないけど。わからないままでいいので、そのまま書いてくれたらすごく嬉しい気がします。

 

こっちは今、わからないけど、わからないまま書いてみてます。

きっと読みにくいかもしれないけど、今まで返事に書いてくれた、、私が長文を書くたびに返してくれた優しい言葉の数々に今、勇気をもらって書いてます。

 

本当にごめんね。本当にありがとう。

わかんないけど、「これからも」であって欲しいです。

 

 

やっと前みたいな文章になってきたかな。わかんないや。

ごめんね。本当にごめんね。

  

明日が最期なら、これ書かなかったことを後悔すると思って。

届けてみます。

 

ずっとありがとう。

気がつけば/黒い濁流が/ドドドドド。

支えてくれる人間がいることがすごく嬉しい。

その相手に依存しないように、自分は強くありたいと思う。

それなのに、上手く動けない自分が辛い。

いつまでも頭の中をぐるぐるとうじうじと悩み、ぼーっとしてしまう。

「あなたは頑張っている」と評価してくれても何一つ実績を残せていないので上手く納得できない。

昨日の意思と今日の意思とが食い違うことが多くて、私は私に振り回される。

意欲は少しずつなくなり、何に対しても無気力。

アニメを見ることや、音楽を聴くことで意識を外し、逃避することばかり。

気がつけばまた日が暮れて、1日を失う。

こうやって年をとって、周りに人間に迷惑をかける未来が容易に想像できる。

 

今、辛い状況のはずなのにそれを改善するためにする努力をする気力がもうかなり減っている。二十年も生きた。もういいかなってなりつつある。

食事と寝床を提供してくれている家族に甘んじている自分は、死んだ方がいいとか思いつつある。

 

そんな私にも元気にでいられる日があって、パァッと明るくやるんだけれども、反動でぶり返すようにこちらに戻される。

あなたはこっちでしょって、袖を引っ張られるように。

 

手首は切らないけど、きっと自傷行為が得意で気がつけばボロボロになってる。

ボロボロになる度に脳がバカなのを自覚する。

 

今、衰弱が著しい。

 

弱い部分を見られるのは酷く恥ずかしいことだけれど、そもそもが書きたいことを書くために作ったアカウントで、匿名でネットでやっているのだから。ちょっと失礼させて欲しいと思う。

 

何も言葉が出なくて、話すことも書くことも難しい日もあるから、今日は少しマシなんだろう。

 

もう崩れそうだ。

やっぱり辛いときには辛いと、誰かに聞いてもらうのは大事。

精神的な辛さを解決しようと思ったときに人は様々な手段を取るけれど、話すというのはとても効果的だと感じた。

 

話さなくてもいてもらうだけで違う。

そこに人がいるという感覚がどれだけの安心感をもたらすか。

それをすごく感じる。

 

頼る先は一つじゃなくてもいい。

親に相談できないことは友人に相談し、友人に相談できないことは兄弟に聞いてもらってもいい。

様々な距離感の関係性があるから、都合のいい人を選べばいいのだ。

 

どうせ人は自分勝手で、他人のことなんか考えているようで考えちゃいない。

誰かの為にというのは回り回って自分の為。

最初から自分の都合なのだ。

 

winwinならそれでいいじゃない。

嫌がられても、無理に合わせる必要ない。

 

私は私を生きていい。

 

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気がついたら肉体が悲鳴をあげている。健康的にいようと意識しているはずなのに。言われてみれば最近、外食とコンビニが多いし学校にも通えてなかったな。

他の誰に言うわけにもいかないので、折角作ったブログに書く。

 

疲れた。

とんでもなく疲れた。

 

ここのところの疲弊具合は日に日に増している。

 

きっと理由は力を抜くのがうまくいっていないのだと思う。

常に他人を意識して。

誰かにとっての自分であろうとするがゆえに、自分自身を見失う。

自分の為にやっていると思い張っているのだけれど。

家庭の調和が一番難しい。

 

誰かに助けを求めようと思ってLINEのトーク画面を開いて、メッセージを入力しようとするんだけど、何を書いたら良いのかわからなくなる。

何か書けても送信できず。送信してもなんでもないことではぐらかす。

 

人の胸に泣きついて、心落ち着かせてもその時限りなのも知ってる。

もっと具体的に考えて行動に移さないと解決しないのも知ってる。

他人に嫌われる勇気と自分の考えを持って、前に進む方が良いのも知ってる。

知ってるならやればいいことも知ってる。

 

なんで動けないんだっ!

 

あれやこれやと言い訳をつけて、正当化してるように見えて情けない。

うまくできない自分に、慣れ親しんでいるその世界観に安住しているように思える。

 

カラダにうまく力が入らない。

食欲もない。無理に食べたら、戻してしまうし。

こんなゴリゴリに体調悪いの久々。

今月はうまくやれると思ってたんだけどな。

 

自分を責めてもうまくいかないのも知ってるはずなのに。

 

 客観性を失っている。

主観と感情でしか見れなくなっている。

これが一番良くない。

 

好きとか嫌いとか、良いとか悪いとか一旦置いて。

ちょっと横になりたい。

 

誰か、ご飯作ってください。

少し話も聞いてください。

お金は払いますから。

 

お金があれば、感情を介在させずに済むのに。

金の切れ目が縁の切れ目でいいのに。

でも、それが一番寂しい。

 

 

 

あれ、なんの話してるんだっけ。

よくわからないけど、少し楽になったような気が…しないや。

 

どうもありがとう。

次はきっと明るい話題を…。

初投稿が黒歴史になることは大前提として。

どうも、うしです。

Twitterの延長で、日常に起きたことや思ったことをそっと書き留めておきたいと思いまして、この度ブログを開設しました。

 

 

『芸能人でもないくせに、ブログなんか開設しやがって。誰に需要があると思ってんだ、バーカ。』

 

そんな意見もあるでしょう。

いいんです、誰も見なくても。

 

 

『それならノートに書けばいいんじゃないの?』

 

それもそうです。

ただ、なんとなくブログをやってみたかったんです。

あと、やっぱりちょっと注目されるのが好きみたいで。

そんな期待もしつつ書くのが楽しいんじゃないかなと思ってます。

 

 

 

書くのが楽しいと思えば、書き続けるし。

つまらないと思えば、やめます。

それは、Twitterツイキャスも。

この「うし」という名前がいつまで長生きするのか。

明日終わるのか、来年終わるのか、おじいちゃんになっても「うし」をやっているでしょうか。

誰だって最期はわからないものです。

 

鼻歌を歌いながら跳ねる子供のように、笑顔な時もあれば、

タバコを吸いに喫煙所に向かう人のように、淡々と憂う日もあるでしょう。

いろんな私を私自身が知ることに意味があると思ってます。

 

その辺も含めて「そのままのカタチ」として書こうかなと。

日々の心の平穏を目指して。

 

ラク」に「ラフ」に。